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医師になりたいとはっきり言った日
次男が2分の1成人式で発表した夢
「僕の夢はお医者さんになって難病の人を救けることです」
最初に聞いたのは、小学生の2分の1成人式の時です。そして次男の発表がその年の教育新聞に載ったと小学校の通信簿に書いてありました。

喘息だった小児時代
二人とも1歳で喘息を発症して、次男は特に発作を起こすと、症状が重くて幼稚園に入る頃まで入退院を繰り返していました。
某大学病院に通院していましたが私はこのままだと、幼稚園も学校も満足に通えないかも知れないと心配で夜も眠れず、喘息の本を読んだり、保健所に相談に行ったりしていました。
(インターネットがまだそれほど普及していなかったので)
喘息を治してくれる名医を探して
私 「喘息が良くならず、入退院を繰り返しているので、いい先生はいないでしょうか?」
保健師さん 「特定の病院名や医師名を出すことはできないけれど、アレルギーの患者団体が情報を持っているので、そこへ相談してみるといいと思います」
とその患者団体(日本アレルギー友の会)の事務局の連絡先を教えてくれました。
すぐに電話と、小児喘息患者を多く診ているという医師の診察予約をしました。その医師に初めてお会いした時に、
私 「私の体が丈夫じゃないから、子供も体が弱くて喘息になってしまって😢」
医師 「お子さん二人はこんなに元気に泣けるし、笑えるし、一度に二人も産んで立派ですよ。お母さん、体、弱くないですよ😊」
私 「ありがとうございます。泣😢」
この医師との出会いで、それまでとは全く違う治療を受けられ、入院も幼稚園入学を境になくなり、家での吸入、薬で上手く調整ができるようになりました。中学生のころには、発作もほとんどなく、病院を卒業出来ました。
病気の人の苦しみがわかる医師になってほしい
卒業文集に書いた夢の理由は、自分は喘息だったから
「自分が発作で苦しかった時に先生が治療して治してくれることは本当に嬉しかった。だから自分も病気で苦しむ人を治してあげたい」
と次男の卒業文集には書いてあります。小学生の卒業文集に書いた夢を本当に実現する人はどれくらいいるかわかりませんが、次男の気持ちはもう固まっていたのだと思います。
もし出来れば、あの時に探した医師のように
『病気で苦しむ人が探して探して医師になった息子の治療を受けたい。」
と思ってくれるような医師になって欲しい。先日その話をしたら、次男にもその気持ちはあるようです。
医学部の高額の学費を考えて国立大学医学部を目指す
次男は、我が家は会社員なので、私立大学医学部への進学は難しい。と早い段階から理解していて、猛勉強して国立の東京医科歯科大学に合格しました。
医学部の学費についての記事はこちら↓
まとめ
大変だと思っていても、やはり自分の経験から、医師になる気持ちが強かったのでしょう。喘息で辛かったことも、毎日の吸入が面倒だと思っていても治したい気持ちがあって頑張ったこともきっと今に繋がっていると思います。
夢を金銭的なことで諦めたりぜずに叶う方法を調べて示してあげる。最後まで信じて応援してあげる。このことしか私と主人はできませんでしたが、本当に学費の心配のいらない国立大学医学部へ入学したことは、親孝行だったと思います。