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都内近郊の国立大学医学部へ行く
次男は、高校2年生から駿台予備校市ヶ谷校舎(医学専門)へ通い、勉強してきました。理系科目は得意でしたが、国立大学受験となれば、文系科目もセンター試験では満点近い高得点を出さなければなりません。
2年間は学校→部活→駿台の毎日を過ごしていました。地方の国立大学も頭の片隅には置きながら、次男は、
- まだ双子の兄と一緒に暮らすか、近くでいつでも会えるようにしたい
- 地方の国立大学へ進学しても、家賃、光熱費など生活費の負担があることを心配していた
そのため、都内か都内近郊の国立大は国内屈指のハイレベルであることを覚悟して、医科歯科を目指して勉強をしていました。
[次男が受験まで使用していた英単語本]
東京医科歯科大学受験を貫く次男
センター試験の自己採点で受験校を決める
次男はセンター試験が終わり、自己採点をすると89.9%でした。センターリサーチでは医科歯科は合格ボーダーラインのすぐ下でした。医科歯科合格には一般的に92〜93%必要と言われていました。
センターリサーチとは、予備校が実施するセンター試験の得点調査のことを指します。 センター試験を受けたら、その翌日か2日後くらいに、ほとんどすべての受験生が自己採点をどこかの予備校に提出することとなります。 各予備校がセンター試験の得点を全国の受験生から集め、集計することで志望大学の合格可能性を判定します
高校の担任の先生(教科は数学)の考え
「数学と物理が得意だから第一志望の医科歯科を受験して、あと10人抜けば合格だから他大学に下げることはない」と言ってくださいました。
駿台予備校での相談では
「合格率は、医科歯科は50〜60%、千葉大は70%。どちらも実際に受けてみなくてはわからないので、浪人も覚悟しているなら、自分が行きたい方を受験したらいいと思う」というお話でした。
後悔しないために東京医科歯科大学を受験する
次男は高校2年生の夏に行った東京医科歯科大学のオープンキャンパスへ行ってから、ずっと医科歯科志望でした。千葉大、筑波大、群馬大のオープンキャンパスも行ったのですが、どうしても医科歯科に行きたいと思ったそうです。
後悔しないために、もし不合格で浪人しても来年また受験する際に経験になるので、医科歯科に願書を出すことにしました。
東京医科歯科大学の入試から合格まで
次男の医学部受験併願校
- 防衛医科大学
- 順天堂大学医学部
- 慶応大学医学部
- 千葉大学医学部(後期試験願書提出のみ)
東京医科歯科大学がもし不合格なら順天堂大学へとは言えないことが申し訳ない
医科歯科受験後の様子
数学の出来があまり良くなかったと気落ちしていました。10人以上抜かせる自信がないと。医科歯科の数学はかなり難しいようです。英語は確実に得点をとり、得意の物理で挽回できていればいいんだけど・・・と言っていました。
励ます言葉が見当たらない・・・
長男と私はただ聞いているしかなく、私大は医科歯科の入試に自信をつけるために受けたものだったので、もし不合格だったら順天堂大学が合格していましたが、「私立大学に行っていいよ」と言ってあげられないことが本当に申し訳ない気持ちでした。
東京医科歯科大学現役合格は夢に向かう強い気持ちがあったから
合格発表は東京大学と同じ日!
3月10日午後0時
初めは長男が受験した東京大学の合格発表。ずっとA判定で塾も学校も合格間違いないと思っていた長男がまさかの不合格。次男も正直難しいかなと思っていました。
3月10日午後1時
東京医科歯科大学の合格発表。まずはインターネットで確認。合格者が80人しかいないため、画面をみてすぐに次男の受験番号を見つけられました。
次男「あった!合格してる!!」
私 「え?ほんとだ!」
一人は合格。一人は不合格。
次男は合格したことがわかると、長男に「自分だけ合格してごめんね」とずっと言って泣いていました。長男も「おめでとう。よかったね」と泣きながら声を振り絞って言っていました。
私はその後、ショックを受けている長男が気になっていて、次男の発表を見にも行けずに、写真もとってあげられなかったことが今になって心残りです。
高校の担任の先生からの電話
次男は家にいることがいたたまれなかったのか、すぐに「学校へ報告に行く」と言って出て行ってしまったので、高校に結果報告の電話をすぐにすることを忘れてしまっていました。
心配した担任の先生から自宅に、「電話がないので心配しています。結果はどうでしたか?」と電話がかかってきました。
私「すみません。学校に報告に行くと言って飛び出して行ってしまいました。」
先生「え?合格したんですか?え?合格したんですね!!なんだーよかった〜」
10人抜ける!と言った手前、心配していたのか、先生はホッとした様子で心から喜んでくださいました。
まとめ
東京医科歯科大学に次男は現役合格し、家族も学校の先生も友達もみんな驚いていましたが、考えてみれば、よく勉強していたと思います。
高校2年で医科歯科志望と言った時、担任の先生(物理)は「目標高いな〜」と笑っていました。
1度も諦めず、受験科目が少ない私大医学部に行きたいとも言わず、内心は何とか気持ちを奮い立たせていたのではないかと思います。
家族の生活を考え国立大と決め、妥協せず、常に自分を高めていくことは、18歳には大変なことだったと思います。
ごく普通の家庭からも医師を目指すことはできることを、次男は証明してくれました。無理だと諦める前に方法はあるので、このブログが励みになってくれたら嬉しいです。
次男が使用していた教材
和美ってどんな人?